奈良県山辺郡山添村では、昔からお茶作りが盛んに行われてきました。
茶木は寒い冬にじっと栄養を蓄えます。
やがて、新芽がすっと芽吹けば、この山あいの村にも春が来た合図。
立春から数えて八十八夜。緑が冴えわたる初夏に一芯二葉を摘んで、紅茶にしました。
農薬や肥料は一切使わず、土地本来が持つ味を引き出した滋味豊かな山添村の和紅茶は、
馥郁たる香りが特徴です。
大和高原を流れるゆったりとした時間を茶葉に閉じ込めて。
琥珀色の紅茶が、あなたの心身を満たしてくれますように。

 起伏に富んだ山肌、霧が多く発生する大和高原の一角に位置する山添村。標高約 120〜600mの高原地帯にあり、夏は爽やか、春は日差しをたっぷり浴びて暖かい所です。また、粘土層の地質のため、土は鉄分やミネラルなどを多く含みます。この天と地の恵みが重なる奇跡のような土地が、紅茶の栽培に適していることを見抜いた一人の人物がいました。戦後の日本で本格的な紅茶生産に乗り出した川戸勉氏です。川戸氏は従来の国産紅茶にはない香気豊かな品種国茶C8

(後の、べにほまれ)の増殖に取り組みました。昭和30年には波多野村(現在の山添村)に森永製菓波多野紅茶工場が設けられ、村をあげて茶木の栽培が行われました。昭和33年にはロンドンで全世界 紅茶品評会に出品。その評価は「世界中の紅茶を尻眼に最優秀賞を獲得」と波多野村史に明記されています。しかし1970年代に入り、紅茶の輸入自由化が進むと、国産紅茶の需要と生産は次第に減っていきました。

 起伏に富んだ山肌、霧が多く発生する大和高原の一角に位置する山添村。標高約 120〜600mの高原地帯にあり、夏は爽やか、春は日差しをたっぷり浴びて暖かい所です。また、粘土層の地質のため、土は鉄分やミネラルなどを多く含みます。この天と地の恵みが重なる奇跡のような土地が、紅茶の栽培に適していることを見抜いた一人の人物がいました。戦後の日本で本格的な紅茶生産に乗り出した川戸勉氏です。川戸氏は従来の国産紅茶にはない香気豊かな品種国茶C8(後の、べにほまれ)の増殖に取り組みました。昭和30年には波多野村(現在の山添村)に森永製菓波多野紅茶工場が設けられ、村をあげて茶木の栽培が行われました。昭和33年にはロンドンで全世界 紅茶品評会に出品。その評価は「世界中の紅茶を尻眼に最優秀賞を獲得」と波多野村史に明記されています。しかし1970年代に入り、紅茶の輸入自由化が進むと、国産紅茶の需要と生産は次第に減っていきました。

かすががーでんの取り組み

旧保育園の跡地を利用し、体験農などのイベントを行ってきたかすががーでんは、耕作放棄地が目立つ村の景色を少しずつ変えていくために、2015年から農薬や肥料を使わない紅茶栽培を再び始めました。1200年前と同じ自然農法でお茶を栽培・製造する健一自然農園の伊川健一さんをアドバイザーに招き、先人たちが残してくれた茶畑を、再び緑が輝く茶園にする取り組みを続けています。

大和高原から三重県にかけては古くから紅茶の名産地。
かすががーでんの紅茶アドバイザー健一自然農園の伊川健一さんが、
当時の紅茶作りを知る河田良明さんにお話を聞きました

健一自然農園 伊川 健一さん

健一自然農園代表、かすががーでんアドバイザー。高校時代から赤目自然農塾で学び、現在は大和高原で農薬や肥料を一切使わず、 微生物の働きでできた土で、煎茶、烏龍茶、紅茶を作っている。

河田 良明さん

戦後、国産紅茶生産を復興させた川戸勉氏と所縁が深い三重県の 製茶工場に勤務。研究熱心な先輩らとともに、輸入紅茶と国産紅茶 を飲み比べるなどしていたため、紅茶に造詣が深い。

伊川健一(以下、伊川) 今日は昔のお茶作りについて色々教えてください。
河田良明(以下、河田) どうぞ、宜しく。
伊川 河田さんは、お茶の工場で働いておられたそうですね。
河田 もう57、58年前のことですがね、三重県亀山市で仲野さんという方がやっておられた製茶工場で働いていました。
伊川 工場ではどんな仕事を?
河田 私は主に蒸し番をやってました。摘んだ生の葉を蒸気で蒸すのね。その後、粗揉機、揉捻機と順番に機械にかけて茶葉を揉んで、最後に乾燥させますが、若かったからあっち行ったり、こっち行ったり、色んな持ち場を経験しました。
伊川 紅茶だけを製茶してたんですか?
河田 いえいえ、煎茶もやってましたよ。
伊川 同じ工場で、煎茶と紅茶をやってたんですね! じゃあ煎茶の一番茶※が終わる5月中旬頃に紅茶を作っておられたんですか?
河田 そうやねー、時期まではあまり覚えてないです。
伊川 何の品種で紅茶を作ってたんですか?
河田 昔、この辺りでも植えられていたべにほまれ。はつもみじっていう品種もあったけど、今はもう植えてないみたいね。
伊川 当時の紅茶はどんな味だったのでしょう?
河田 私より10歳上の先輩がセイロン紅茶を買って飲み比べたんだけど、セイロンは色がいいんやわ。でもね、飲み比べたら、日本の紅茶の方がずっとうまいのさ。
伊川 おぉ、そうなんですね!
河田 うん、味がよかったな。特にこの山添村の土壌は赤土の粘土層だから、お茶作りに適しているでしょう。黒ぼく土は、作物の成長が早いんだけど、育つ作物は味気ないんだわ。
伊川 世界の名だたる茶産地の土は、粘土層や岩盤地質が多く、こうした土地で育つから薬効があるとも言われていますね。そもそも土地は、とてつもなく長い時間をかけて、噴火、侵食、隆起といった地球の動きからできたもの。肥料で栄養を補うのではなく、自然の摂理に習って山の声を聞きながら、その土地本来の栄養をいただいてお茶を作りたいんです。山添村は、山に寄り添うと書きますから、ここならそれができると思うんです。
河田 ほお、それはすごいね。私ね、伊川さんにやってもらいたいことがあるの。
伊川 なんですか?
河田 ある日ね、茶葉を乾燥させるのにプロパンガスを導入したんだけど、プロパンガスの火力がどんなもんかわからんで、茶葉を乾かしすぎたのよ。それを工場長の息子さんが、捨ててしもてね。私はもったいないから、それを集めて親戚みんなに配ったのよ。そしたら、「こんなうまい紅茶はじめてや。もっとくれ」って。
伊川 紅茶をほうじ茶のように強火で炒ってしまったんですね。それ、おもしろい!
河田 きょうび、全部機械でお茶を作るでしょ。失敗がないから、変わったもんはできんわな。いっぺんこれをやってみてください。
伊川 そうですね、どこにもないお茶をやってみたい。それで河田さんに飲んでもらいたいです。今日はありがとうございました。

※その年の初摘みの茶葉で作るお茶のこと。新茶とも呼ばれる。

仕事で忙殺されていたあの頃、体験農で癒された

 「都会では、どんな仕事をしたいのかもわからず、職を転々としました。あの頃は仕事で明け方まで働いたりする毎日。明日から一週間が始まるのか、と思うと日曜日が憂鬱でしたね。でもいまは、仕事と暮らしがひとつ。ストレスが全然ないんです」。山添村に移住してちょうど一年の佐野敦さんは、大阪から移住してきた感想を、こう答えました。都会で暮らしていた頃から、身体にいい食べ物を求めて、自然食品のお店に通ううちに「自分で食べ物を作れたら、一番いい」と、就農への夢が芽生えた佐野さん。市民農園を借りて、手始めにきゅうりを植えたら、意外にもうまく実をつけたことも。こうした体験が背中を押して、就農相談所に行くと「まずは就農を体験したら?」と勧められ、奈良県へと移住。半年ほど県内の有機栽培を行う農家で体験農業や就農訓練を体験しました。

自然農の茶畑と出会って

 ある日、肥料や農薬に頼らず、大地に住む微生物の力を借りた自然農でお茶を作る健一自然農園に出会った佐野さん。「有機栽培も素晴らしい農法だけれど、自然農は地球に負担をかけない生き方のさらに一歩先を行く農法。微生物などの小さな生き物も、雑草も、すべての生命を活かし合える。傷ついてしまった地球の自然を回復するなら、これだ」。と、自然農を軸に、農ある暮らしで生計をたてて生きていく決意が固まっていきました。その後、佐野さんはとんとん拍子でかすががーでんに就職が決まり、2015年の4月に山添村に移住。今は週に4日ほど、体験農業で使う野菜畑や茶畑の手入れを行っています。今年からは、自宅近くの畑で自分が食べる野菜をなるべく自給しようと、せっせと開墾中。お休みの日には神野山から緑の海原を眺めたり、吉野名物の葛粉を使って葛餅を作ったり、この地域を存分に楽しみつつ、移住者を暖かく見守る村の人々に囲まれ、ゆっくり山添村に根を張ろうとしています。

奈良県東部、大和高原の北部に位置する山添村。
一見、山深い雰囲気の山添村ですが、南北に貫く国道のお陰で、
大阪から60分、名古屋から90分という便利な場所に位置しています。
和紅茶の購入、かすががーでんについて、移住について相談を承ります。

交通機関の場合

●JR・近鉄天理駅から上野行きバス国道山添バス停下車徒歩500m
●近鉄上野市駅から天理行きバス国道山添バス停下車徒歩500m

車の場合

●大阪方面から(約60分)
松原JC(西名阪自動車道)→天理IC(名阪国道)→針IC(名阪国道)→山添IC
●名古屋方面から(約90分)
名古屋JC(東名阪自動車道)→亀山IC(名阪国道)→上野IC(名阪国道)山添IC